洋風ちんすこう(仮)

よく何もないところでつまずいてコケるアラサー会社員の備忘録。

たとえ地獄でも、住めば都


僕は1990年代、大阪に生まれた。
大阪という土地は、治安の面でいうと本当にピンキリで、高級な邸宅街から超ド級の下町まで様々だ。

僕が育ったのは大阪市内のはずれ、その超ド級の下町。
出身を聞かれて答えると、目上の人からは特に「おぉ…」と明らかに困ったリアクションが返ってくる。

僕はそんな地元の町があまり好きではなかった。

通学路には犬のフンが落ちていて、小学生の頃よく踏んだ。
夜はパトカーのサイレンが毎日鳴り響き睡眠の邪魔をする。
駅前では平日の昼3時からどこかのおっちゃんが飲んだくれて立ちションしている。
地元のはずれにはまだ花街が残っており、置屋のおばちゃんに見守られながら僕はボール遊びをしていた。
母の他にも、見ず知らずのおばちゃん達にも叱られながら育ってきた。

こんな町が好きではなかったが、幼少期はこれが当たり前の世界だと思っていた。

無事成人した僕は昨年、結婚を機に独立し、引っ越した。

新居を構えた場所は実家と同じ市内。距離もそんなに離れていなかったが、新しい土地はとても閑静な住宅街だった。

えっ、同じ市内でこんなに違うの!?
これが僕の率直な感想だった。

犬のフンが落ちていない。
スナックがない。
立ちションしているおっさんがいない。
子どもが多く活気がある。
なんて住みやすい町なんだ。

新たな場所は、僕にとって外国のように思えた。
そして不思議なことに、生まれ育った下町が恋しくなった。

パトカーのサイレンの音が聞きたい。
昼間からローソン100の前で酒盛りしているおっさんズが恋しい。
あの汚い町に帰りたい。

引っ越しから数か月が経ち、実家に帰る機会があった。
数か月ぶりの実家は、たった数か月離れただけなのに懐かしかった。

母からここ最近の地元の話を聞いた。
この辺りは子どもが少なく、もうすぐ小学校が閉校になる。
町で唯一のスーパーが潰れたからお年寄りが大変。
外国人が大量に空き家に入ってきてトラブルだらけ。

課題が山積みすぎる。
僕が子どもの頃よりはるかに、この町は終わりへ向かっているような気がした。

それでも、実はこの町が好きだった、ということに離れてみて気づいた。
他の町では経験できないことがここには詰まっている。

「ただいま!」と声をかけるとどこかから「おかえり!」と帰ってくる。
そんな町が、今では好きだ。

僕が中学生の頃「ほんまこの町嫌やわぁ」と言うと、昔、神戸から下町へ嫁いできた母はぽつりと呟いた。
「こんな町でも、住めば都やから」

今では僕もそう思っている。