洋風ちんすこう(仮)

よく何もないところでつまずいてコケるアラサー会社員の備忘録。

小さな未来を見守る仕事

僕は大学生時代、様々なアルバイトをしていた。
学生バイトとしては定番のコンビニから、怪しげな脳科学実験の被験者までいろいろ経験した。

(コンビニのアルバイトはコチラにチラッと出てきます)

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その中でも特に心に残っているのが、幼児塾のアルバイト。

私立小学校にお受験する子どもたち専用の塾で、お受験の試験問題を解いたり、面接練習したりとしっかり対策をする。そのサポートのアルバイトだった。

お昼過ぎになると、幼稚園帰りの子どもたちが親御さんに連れられてたくさんやってくる。教室にいる僕はくまさんの絵柄のエプロンを着て明るく笑顔で出迎えるのだ。

授業が始まると、社員である先生のサポートに回る。
トイレが我慢できない子は手を引いてお手洗いへ連れていく。
話を聞いていない子には直接話しかけて興味を持たせる。

親御さんにとって大切なお子さんを預かり、教える。そして安全にお返しする。
一時も目を離せない緊張感のある仕事だが、僕は従事していて楽しかった。
もともと子どもが好きな僕には合っていたのかもしれない。

ただ一点だけ辛かったのが、採点の仕事。
子どもたちの答案を、赤いクーピーペンシルでマルつけをする。

採点だけだと、よくある塾の光景なのだが、この塾は採点業務を、子どもたちの目の前で行っていた。

これが辛かった。
子どもたちはプリントを仕上げると、自信満々の笑みを浮かべる。
目の前で採点すると、大抵どこかひとつはケアレスミスが見つかった。

「ここ、違うよ」と赤でチェックをつける。
すると、さっきまでの笑顔は崩れ去り、子どもたちは目に涙を浮かべるのだ。

最初は、1問ミスしただけでそんなにショックなの!?と思っていた。
他は全問正解なんだから十分すごいじゃないか。

しかしこのアルバイトに慣れてきたころ、僕は本当の理由に気付く。

ある日、授業が終わり、親御さん達が教室まで迎えにやってきた。
子どもたちがそれぞれ親の元へ走っていく。

そんな時、一組の親子の会話が聞こえた。
「今日満点だったの?えらいね!約束だから今日のおやつはケーキにしようね」

その瞬間、僕はハッとした。

約束だ。
お母さんとの約束だったのだ。

まだ4~5歳の幼い子どもたち。お受験する子たちはその頃からみっちり勉強漬けになるが、ただの勉強だけでは到底続かない。
そのため親は、頑張ったご褒美を約束するのだ。

子どもたちはそれぞれの目標に向かって頑張る。ある子はうんと褒められるために。ある子はおやつのケーキのために。それが子どもたちのモチベーションだった。

そのため、子どもたちの満点に対する執着はとてつもなかった。

 

もうすぐ春がやって来る。

園児たちにとってはまさに新たな学校での新生活、新たな面持ちの春がやって来るのだ。

僕はもう幼児教室でアルバイトをすることはないが、この時期になるとあの日見守った子どもたちを思い出す。

ひとりひとりの小さな未来たちに、心の中でエールを送りながら。

思い出の味は5mmの赤ラーク


大学生時代、僕は実家の近くのコンビニでアルバイトをしていた。
全国各地でよく見られる、緑の看板のコンビニエンスストアだ。

当時生まれて初めてのアルバイトだったので、僕はそこで「働く」ことについて一から学んだ。

接客、レジ操作、品出し、掃除、調理(といっても、おでんやフライヤーの簡単な操作のみ)など。
やることは本当にたくさんあったが、すべてが今の人生に活きていると思う。

当時の時給は720円。シフトは夕勤と夜勤。店長は30代の女性だった。
面接の時、緊張で震えながら手渡した履歴書をちらりと見て彼女は言った。
「バイト、初めて?大丈夫、私がしごいたるから。採用!」

そこから新米コンビニ店員の日々が始まったのを覚えている。

最初は緊張と失敗の連続であったが、慣れてくると少しずつ仕事をこなせるようになった。
同じシフトの仲間とも仲良くなったが、人見知りなので、後輩が入ってきても敬語はずっと取れなかった。

ある日の勤務終わり、レジカウンター裏の事務所で着替えていると、奥のパソコンで発注作業をしている店長を見かけた。
傍らには店長が愛してやまない煙草の箱が見える。

僕が働いていた店舗は、自動ドア横に灰皿があり、喫煙者の客からとても愛されていた。それは店員も同じで、働く同僚の喫煙率も非常に高かった。

その日、発注作業中の店長と他愛もない話をしていると、煙草の話になった。
煙草を吸ったことがない、と話をすると「なんで?」と聞かれた。

「なんでって、20歳になったばかりやし」と答えると、「みんな通る道やろ?」と正される。意味がわからない。

「それやったら、吸ってみる?」と店長は箱から一本煙草を取り出し、僕に渡してきた。
僕はしぶしぶ受け取る。
煙草には怖いイメージがあったものの、少しだけ興味があった。20歳を迎えて、大人になった証として経験しておくのは悪くない、と思えたのだ。

店長からライターを借りて、慣れない手つきで火をつける。
すう、と吸い込んだ瞬間、甘いフレーバーの香りと、肺に明らかに異物が入ったのを感じた。

数秒後、僕は今までにないくらいむせ返っていた。咳が止まらず涙目になる。
隣では腹を抱えて笑う店長の姿が見えた。

「最初はみんなそうなるねん。でも途中でだんだん美味くなっていくねんなー、これが」

僕が吸っている姿を見てわたしも、と煙草に火をつけた店長の横顔は、妖しく、そして、美しかった。

そんな彼女が愛していたのが、5mmの赤LARK。

あれから10年が経ち、結婚を機に独立した僕は、先日久々に実家に帰ってきた。
実家に帰る途中、慣れ親しんだ道を通っていると、交差点の角に「テナント募集中」の文字が見える。

そこにかつてあったのは、僕がバイトしていたコンビニだった。

少し立ち尽くして、また、歩き出す。
脳裏にはあの時の店長の横顔が見えた。

僕の口には、あの時の甘いフレーバーの香りが今も残っている。

たとえ地獄でも、住めば都


僕は1990年代、大阪に生まれた。
大阪という土地は、治安の面でいうと本当にピンキリで、高級な邸宅街から超ド級の下町まで様々だ。

僕が育ったのは大阪市内のはずれ、その超ド級の下町。
出身を聞かれて答えると、目上の人からは特に「おぉ…」と明らかに困ったリアクションが返ってくる。

僕はそんな地元の町があまり好きではなかった。

通学路には犬のフンが落ちていて、小学生の頃よく踏んだ。
夜はパトカーのサイレンが毎日鳴り響き睡眠の邪魔をする。
駅前では平日の昼3時からどこかのおっちゃんが飲んだくれて立ちションしている。
地元のはずれにはまだ花街が残っており、置屋のおばちゃんに見守られながら僕はボール遊びをしていた。
母の他にも、見ず知らずのおばちゃん達にも叱られながら育ってきた。

こんな町が好きではなかったが、幼少期はこれが当たり前の世界だと思っていた。

無事成人した僕は昨年、結婚を機に独立し、引っ越した。

新居を構えた場所は実家と同じ市内。距離もそんなに離れていなかったが、新しい土地はとても閑静な住宅街だった。

えっ、同じ市内でこんなに違うの!?
これが僕の率直な感想だった。

犬のフンが落ちていない。
スナックがない。
立ちションしているおっさんがいない。
子どもが多く活気がある。
なんて住みやすい町なんだ。

新たな場所は、僕にとって外国のように思えた。
そして不思議なことに、生まれ育った下町が恋しくなった。

パトカーのサイレンの音が聞きたい。
昼間からローソン100の前で酒盛りしているおっさんズが恋しい。
あの汚い町に帰りたい。

引っ越しから数か月が経ち、実家に帰る機会があった。
数か月ぶりの実家は、たった数か月離れただけなのに懐かしかった。

母からここ最近の地元の話を聞いた。
この辺りは子どもが少なく、もうすぐ小学校が閉校になる。
町で唯一のスーパーが潰れたからお年寄りが大変。
外国人が大量に空き家に入ってきてトラブルだらけ。

課題が山積みすぎる。
僕が子どもの頃よりはるかに、この町は終わりへ向かっているような気がした。

それでも、実はこの町が好きだった、ということに離れてみて気づいた。
他の町では経験できないことがここには詰まっている。

「ただいま!」と声をかけるとどこかから「おかえり!」と帰ってくる。
そんな町が、今では好きだ。

僕が中学生の頃「ほんまこの町嫌やわぁ」と言うと、昔、神戸から下町へ嫁いできた母はぽつりと呟いた。
「こんな町でも、住めば都やから」

今では僕もそう思っている。

甲子園は今日も平和です

昨年6月、久しぶりに甲子園球場へ行ってきた。

祖父の代から阪神ファントラキチの英才教育を受けてきた僕。

小さな頃から親子で甲子園には足しげく通っていたが、大人になると仕事の忙しさと、幼少の頃に好きだった選手がみんな引退してしまったのもあり少し興味が冷めてしまっていた。

しかし昨年、ある選手を知り、ファンになったのをきっかけに阪神熱が再燃。
もう一度スタンドで見たい!と、はるばるやってきた。一人で。

17時過ぎに阪神甲子園駅に到着。いそいそとライト側の入り口、21号門へ。

球場の外周通路から、一気に視界が開けてグラウンドが広がる世界には、いつも少年のようにワクワクする。

ライトスタンド中段あたりの席につくと、周囲は阪神ファンで8割方席が埋まっている。
ぼくの隣の席には阪神のユニフォームを着たおじいちゃん。
色味から、かなりの年代物なのが伺える。
もしかして1985年に日本一になった時のものだろうか。

18時、試合が始まった。

今日の相手は北海道日本ハムファイターズ。もともと阪神とは所属しているリーグが違うのだが、この日は交流戦という形で他リーグのチームと対戦する日だ。

ファイターズの監督に元阪神SHINJOビッグボスが就任したこともあって話題になっていた。

序盤は劣勢。タイガースは3回までに7点を取られ、先発のウィルカーソンが降板。ライトスタンドからはため息が漏れる。

僕も例に漏れず、この段階ですでに帰りたかった。
本当に、めちゃくちゃ帰りたかった。
ただ、久しぶりの甲子園。勝ち負けにこだわらず、試合そのものを楽しみに来たと思えばいい!と思い直す。
そうだ。僕は甲子園のスタンドで、名物の焼鳥とビールを頬張りに来たのだ。甲子園の焼鳥はとてもおいしい。

すると4回から、タイガースの反撃が始まる。
打線が繋がり始め、6回を終わって5-7。2点差まで詰め寄ったのだ。

半ば諦めかけていたタイガースファンも、テンションを盛り返す。
そうだ。戦っている選手は誰ひとり、勝利を諦めていないのだ。

そしてタイガースは8回、ついに一打同点のチャンスに漕ぎつける。
打席にはなんと、僕がこの日ユニフォームを着て応援している、最近ファンになった山本選手だった。

祈るように見つめる僕。隣のおじいちゃんは何故か上本という別の選手のタオルを掲げて「うえもとー!」と声をあげている。
おじいちゃん、上本はもう引退したよ。

するとその時だった。
カァン、と山本が放った打球は、一二塁間を抜けていくタイムリーヒット
タイガースはついに、7‐7の同点に追いついた!

7点差を追いついた怒涛の展開に、ファンは大盛り上がり。
全員立ち上がり、メガホンを掲げながらみんなで喜びを分かち合う。
山本のユニフォームを着ているのは、周囲では僕しかいなかったため、僕は周りの方々にメガホンで袋叩きにあった。

「山本!ようやった!ありがとう!!」と僕をボコボコにするおっちゃん。
「ようあそこで打てたねえ」と涙ながら僕の手を取り祝福するおばちゃん。
「今の気持ちはいかがですか?」とインスタライブしながらインタビューしてくる亀田興毅似の兄ちゃん。勝手に撮るな。
というか、僕がヒーローのように祝福されているが、僕は山本ではない。

隣のおじいちゃんはずっと「あれは上本が打ったんか~?」と聞いてきた。
だからおじいちゃん、上本はもう引退したよ。

結局、試合は9-7で逆転勝利。今シーズンの中でもベストゲームと後から言われるような一日となった。

僕はこの熱狂をはっきりと思い出した。これだ。この熱狂を感じにきたのだ。ファンと選手が心をひとつにして戦い一喜一憂する。ここに甲子園の良さがある。
甲子園のライトスタンドに来たのは20年ぶりだが、本当に楽しかった。
帰りの阪神電車の大混雑でさえも愛おしく思えた。

もうすぐ待ちわびた球春がやってくる。

全国のプロ野球ファンのみなさん、今年も球場で会いましょう。

 

知らない町のフィリピンラウンジと僕②

(前回はコチラ)

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スヌーピーおじいちゃんに連れられること5分ほど。

スナックなどが入る雑居ビルの奥にその店はあった。

 

古い廊下を通る際、ここは絶対ひとりじゃ来ないな、と思った。

 

スヌーピーおじいちゃんが扉を開けると、キラキラしたミラーボールが目に入った。

しかし店内には誰もいない。

 

「おうい」とおじいちゃんが声をかける。

店のバックヤードから女性が一人出てくるのが見えた。

 

女性は僕に「アンタダレ?」と聞いた。こっちのセリフだ。

 

「お客さんだよぉ」とスヌーピーは言った。

のんびりとした顔がだんだんスヌーピーに見えてくる。

 

女性は「オー!イラッシャイ!」と笑顔になり、席に案内してくれた。

おじいちゃんは「じゃあねぇ」とまた外へ出て行った。帰ったのか?

 

 

「あのー、ここはなんの店ですか?」と尋ねてみる。

店内はカウンターと後ろにボックス席がいくつかある、絵に描いたような昭和のスナックといった印象だ。

 

「ここはね、フィリピンラウンジヨー」と女性は笑顔で答えた。

そういうジャンルがあるのか。

 

女性は60代ほどだろうか。どうしても年齢は感じるが、明るいグリーンのドレスで着飾った姿は美しい。老舗スナックのママのような姿で、僕のグラスに氷を入れている。

うーん、なんか思ってたのと違う。少なくともお姉ちゃんではないが、まあこれはこれでいいか、と思った。

ママはことあるごとに「3000円でイイヨー」と言ってくるし。

 

最初に頼んだハイボールをもらって一呼吸ついたあと、「さっきのおじいちゃんは?」と聞いてみた。 

 

「あれは常連さんネ」とママは微笑んだ。

店が暇な時に客引きをしてくれているらしい。どんな店やねん。

 

その後、ママはいろいろ話してくれた。

40年前にフィリピンから出稼ぎで来たこと。

こっちで知り合った日本人と結婚して、価値観が合わずにすぐ離婚したこと。

5年前に帰省したのを最後に、コロナ禍も相まって母国に帰れてないこと。

 

 

「ほんとはネ、フィリピン帰ってお店したいのヨ」とママはポツリとつぶやいた。

「でもこっちの生活があるからネ」

 

少し寂しそうな横顔が見えた後、ママは「オ!グラス空っぽネーおかわりネー」と笑顔でウィスキーの瓶を開けた。

 

気がつけば2時間経っていた。あっという間だった。

 

時間だからと帰ろうとする僕にママは「これよかったら食べてみてネーお酒と合うヨ」とフィリピンのスナック菓子を2つくれた。

 

僕は笑顔で感謝を伝えて店を出た。

あの時おじいちゃんについて行ってよかったと思えた。なんだか良い店に出会えた気がする。

 

ホテルまでの帰り道は、細雪が舞っていた。

雪を顔に受けながら、またいつか来れたらいいな、と思った。

 

この旅を終えて、学んだことが2つある。

スナック帰りの細雪はどこか寂しさを満たしてくれるということと、

フィリピンのスナック菓子は僕の味覚には全く合わない、ということだ。

 

知らない町のフィリピンラウンジと僕①

 

寒い。寒すぎる。

日本中が大寒波に見舞われている。

 

僕の住む大阪は、全国の中でも比較的温暖なことで知られる。

2000年からの気象観測の中では、数センチ以上雪が積もったのはまだ数回しかないらしい。

具体的に何回だったのかは知らないし、調べるのがめんどくさいのでこれで許してください。

 

そんな大阪でも雪がちらつき、最高気温は4℃。

通勤中、顔面にぶち当たる粉雪の冷たさを感じながら、そういえば前もこんな感じだったな、と思い出したものがあった。それは確か1年前の冬のこと。

 

 

当時の僕は、うつで仕事を休職していた。

半年ほど時間をもらい、ゆっくり療養に努めていた。

 

そんな時、気晴らしに旅行に行こうと考えた。

どこに行こうかと悩んだ結果、決めた行き先は信越地方

 

僕は学生時代に47都道府県を巡る一人旅をしたこともあり信越にも何度か行ったことがあったが、大体春から夏にかけてが多かった。今回は冬の雪国に行ってみたかった、というのが大きな理由だったと思う。

 

大阪から新幹線で東京へ行き、そこから上越線普通列車でガタゴト揺られながら新潟へ入った。

それから富山、金沢と通過して上りのサンダーバードで帰ってくるという、日本の真ん中を大きく円を描くようなルートだったのを覚えている。

 

早朝、大阪駅を出発して新潟にたどり着いたのは19時頃だった。

よし、晩御飯を食べよう。

食べログで調べた地元の居酒屋に入り、1時間ほど呑んだ。

 

 

居酒屋を出て時計を見ると20時半。まだホテルに帰るのは早い。

一人でやってきた僕はふと「誰かと話したいな」と思った。

ダメだ。さっき飲んだ越後日本酒飲み比べセットがばっちり効いて、気が大きくなっている。

何か地元のバーやラウンジのような場所へ行きたいと思った。

気づけば足は歓楽街の方へ向いている。

 

新潟の歓楽街は、JR新潟駅からは少し離れた場所にある。

ただ、知らない街を眺めながら散歩のように歩くと、到着するまであっという間だった。

 

 

歓楽街をふらふらと歩きながら、お店を物色する。

大阪に比べるとどうしても規模は小さいが、まとまっていて巡りやすく、ネオンが眩しい。

 

さすがに知らない土地でお店に飛び込むのは怖いし、ネットでまずは調べるか…と立ち止まった瞬間、一人の年老いた男性が声をかけてきた。

 

「今だけ、2時間3000円ポッキリ飲み放題、どうだい?」

「え?」

「お姉ちゃんもいるよぉ」

 

男性は70代ぐらいで、青いスヌーピーのニット帽を被っていた。

見た目はどう見てもよくいるようなキャッチには見えない。誰だアンタは。

 

「本当に2時間3000円で飲めるんですか?」と僕は聞いた。

「うん、今日お客さん全然でね、3000円コミコミでいいよぉ」

 

「いいよぉ」と語尾が伸びるのが気になるし、お店のオーナーとかにも見えない。近所に住むただのおじいちゃんに見える。

 

 

少し考えて、僕は答えた。

「本当に3000円だけでいいのなら行きます」

気が付けば、僕は声をかけられた恐怖よりも、「このおじいちゃんについていったら一体どうなるんだろう」という好奇心の方が上回っていた。

もしぼったくられそうになったら走って逃げよう。

 

 

(長くなったので明日に続きます)

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What happens in Vegas stays in Vegas.(旅の恥は搔き捨て)

僕はいつも、電車通勤、大阪環状線に乗って通勤している。
大阪環状線は、その名の通り大阪の中心部をぐるりと回る路線で、便利さも相まって利用客も多い。

先日、とある平日の18時。一日の仕事に疲れた僕は、大阪駅に着くと同時に環状線のホームへ向かった。
よく、通勤ラッシュの話題になると東京が取り上げられるが、関西の通勤ラッシュも負けず劣らず人が多く、人波に流されて歩いていけば気がつけば環状線のホームまでたどり着いている、なんてことはザラだ。


この日もいつものようにぐったりしながらホームに立っていると、後ろから突然「Hey‼」と呼びかける声が聞こえた。

後ろを振り返ると、短髪で長身、サングラスをかけた一人の男性が立っている。右手にはスマホをくっつけた自撮り棒。見るからに欧米の外国人だ。

ホームは混雑していたが、完全に目が合った。僕に向かって話しかけているらしい。
彼は続けてこう言った。

「テンノウジ、イキタイ!」
「て、天王寺?」
「Yes‼」

今更だが、僕は街を歩いていると道を聞かれることがとても多い。
特に繁華街を歩いていると旅行者や他所から来た人がどんどん僕の方へやってくる。そんなに聞きやすい顔をしているのだろうか。
今回の彼は天王寺に行きたいらしい。

大阪駅から天王寺環状線で向かうには、内回りの電車に乗ればいい。
地下鉄に比べると時間もかかるが、乗り換えなしで乗ってたら着くからちょうどいいだろうか。

僕はたどたどしいカタコト英語でこう伝える。
「ループトレイン、プラットホームナンバーワン!ゴートゥー天王寺

合っているかはわからない。伝わればそれでいい。

欧米サングラスの彼は「No.1?」と尋ねた。
「いえす」僕は答える。

「Oh! Thank you so much!」

どうやら理解してくれたらしい。
そこから彼は僕に自撮り棒を向けて、嬉しそうにペラペラと話してくれた。

「僕はカリフォルニアから来たんだ」
「日本が大好きで、いつか旅行に来てみたかった。今回夢が叶ったんだよ」
「昨日まで東京と京都にいた。街並みがとても素晴らしかった。そこでもたくさんの人が僕を助けてくれた。日本人はとても優しくてアメイジングだ」

優しくゆっくり話してくれたので、単語を聞き取ってなんとか理解できた。僕は相槌を打つ間もなく聞いていた。

最後に僕に向けている自撮り棒のことを聞いた。


「これ?今Youtubeライブ配信しているんだよ」
こらっ!勝手に撮って配信すな!

センキューセンキューと礼を言いながら、彼は内回りのホームに到着した大和路快速に乗り込んでいった。
それを見て僕はあっ、と声を出す。
大和路快速天王寺には停車するが、もし乗り過ごして天王寺を越えるとそのまま環状線を離れて奈良へ行ってしまう。彼はちゃんと降りられるのだろうか。

まぁいいや。明るい彼ならなんとかなるだろう。
もし奈良に着いたらまたさっきの調子で言うんだろうな。

「アノー、テンノウジ、イキタイ!」と。

彼とは反対の外回り電車に乗り込んだ僕の足取りは、なぜかさっきより少し軽かた。