洋風ちんすこう(仮)

よく何もないところでつまずいてコケるアラサー会社員の備忘録。

60年前のゆとり世代の話

先日、職場の先輩と飲んだ。
会話も大いに盛り上がり、気が付けば日を跨いで午前1時。
家に帰れる終電はとうに過ぎている。

仕方なく、タクシーで帰ることにした。
大阪の郊外の駅前、閑散としたロータリーにはタクシーが1台停まっている。ちょうどいい。お世話になろう。

タクシーに近づくと後方のドアが開く。
行き先を告げると静かに動き出した。

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「お客さん、見たところ若いね。いくつ?」

運転手のおじいさんに話しかけられたのは、タクシーが走り出して10分ほど経った頃だった。

 

ぼくはほろ酔いのままルームミラーを見る。ミラー越し、おじいさんとぱちりと目が合った。白髪の後ろ姿、見たところ60代くらいだろうか。優しく語り掛けるその声には品があった。

「えっと、26です」

「ほー、となるとゆとり世代の真ん中あたりだ」

出たー。いつものパターンだとぼくは思った。

ぼくはこれまで何度も、目上の人からゆとり世代として虐げられてきた。仕事でミスした時も、飲み屋で隣になった人からも、特にシルバー層の人から「これだからゆとりは」という言葉を聞いてきた。

きっとこの運転手も、ぼくのように若い客を乗せたら、みんなひとくくりにしてきたのだろう。そんな気がした。

 

だが、実際は違った。

 

「私は1958年の生まれ。20歳で社会人になった。私らの世代は当時「新人類」って呼ばれとってね。上司達からは『新人類は戦争も知らん。肝っ玉も据わっとらん弱い奴らや』とよう言われとった」

「わたしは戦後に生まれたからね。大戦を知らんのです。あることないことよう言われたもんですわ」

「そんなんやから、わたしは人を先入観で見んな!とカーッとなってね。人一倍仕事に力入れて上司を黙らしてきたのよ」

気がつけば、後部座席のぼくは運転手のおじいさんの話を前のめりで聞いていた。酔いもなんだか覚めた気がする。

「お客さんはゆとり世代?よく言われるでしょう。そんな、人を簡単に決めつける奴らに負けたらあかんよ。仕事も家庭も、真面目にがんばる。その姿を、誰かが必ず見てるから」

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気がつけば、家の近くまで帰ってきていた。

運賃を払い、タクシーのドアが開く。
おじいさんは微笑みながら呟いた。

「わたしはね、今年でこの仕事も辞めるんです。ははっ、隠居するんだよ。孫から『もう歳だから車に乗るな』と言われていてね」

「これからは君たちの時代だよ。どうか社会を支えていって下さい」


時計は深夜3時を指していた。
酔いも完全に覚めている。

色眼鏡で見ていたのは、どうやら僕の方だったみたいだ。

僕を救ってくれた「小さなホテルマン」

大学2年の頃、リゾートホテルで働いた経験がある。

働いた、といっても、当時あったインターンシップの制度を使って実習に行かせてもらったので、厳密には短期で無給だ。

期間は2週間で、大学が夏休みのお盆期間に受け入れてもらった。
つまりホテルの超繁忙期に無給で働くのだから、ホテルにとってはありがたい労働力だったろうと思う。

当時の僕は、大学卒業後は観光業界に就職したかったため、この2週間の実習をとても楽しみにしていた。将来のために良い経験を積んでおけるし、業界を覗き見できるし良いことずくめだったのだ。

だがしかし、いざ働いてみると、実態は違った。

お盆の繁忙期はトラブルにまみれていた。アメニティが足りない、シャワーのお湯が出ない、部屋に髪の毛が落ちている、急いでいるのにホテルがチャーターしたタクシーが来ない、などなどお客様からのクレームが止まらない。

僕は何度もインカムで呼び出され、フロントと客室を往復した。
実習生なのにお詫びにも入った。実習先のホテルは、圧倒的に人手が足りていなかった。

そんな日々が毎日続き、僕はすっかり参ってしまった。
高校生の頃からうつ病も患っていたのもあり、気分はどんどん闇の中へと沈んでいった。

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実習が始まって1週間が経ったある日、食堂でスタッフの女の子と一緒に昼休憩をとった。

その子はアルバイトの女子高生だが、歴が長かったので僕の教育係をしてくれていた。
僕より2つ年下なのに、その横顔はクールで頼もしく、わからないことがあれば何でも丁寧に教えてくれていたが、一緒に昼食をとるのはこの日が初めてだった。

テキトーな世間話の会話の流れで、僕はうつ病であることを話した。暗くならないように笑い話にしようとおどけながらカミングアウトするつもりだった。

すると、彼女はさっきまでの笑顔から一変、急に俯き、大粒の涙を流し始めたのだ。


焦る僕。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。
相手を泣かせてしまったのは、僕の人生ではおもちゃを取り合ってケンカした幼稚園の頃まで遡る。

「大変、だったんですね」

絞り出すように彼女が言った。
実は、と、静かにゆっくりと話し始める。

「実はわたし、前に親友を亡くしてて」

彼女は教えてくれた。
数年前に親友が自ら命を絶ったこと。
その親友も、うつと長年闘っていたこと。
自分は親友の前では無力だったこと。

ぽろぽろとまた涙がこぼれる。
休憩室の片隅、僕と彼女が座る机だけ時間が止まっているように思えた。

彼女は、親友のために何も出来なかったことを後悔しているようだった。

「わたし、決めました」
赤くなった目をキッと鋭くさせて彼女が言う。

「あなたがここにいる間、わたしがあなたを守ります」

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それからの1週間も、多忙な日々は続いた。
しかし、教育係の彼女が、僕の業務を常にフォローしてくれた。
クールな横顔が、とても頼もしかった。

あっという間の2週間が過ぎ、実習最終日の夜。
退勤のタイムカードを打刻した僕に、教育係の彼女は言った。

「どうか、自分を大切にしてください。
そして悩んだ時は周りを頼って下さい」

 



あの夏から10年経ち、僕はしがないサラリーマンになった。
結局観光業界には就職しなかったが、お盆の時期になるとリゾートホテルでの忙しかった日々をふと思い出す。

教育係をしてくれた彼女は今、どこで何をしているだろうか。


別れ際、彼女の最後の言葉は、僕だけでなく、亡き親友への言葉でもあったんだろう。

彼女の言葉を胸に抱いて、頼りない僕は、今日も誰かを頼りながら生きている。

半分降りたシャッターの先に

小学生の頃、町外れにある小さな自転車屋に入り浸っていた時期がある。

そこは昔ながらの個人経営の自転車屋で、無精髭を蓄え頭もボサボサの見るからに冴えないおっちゃんが、たった数坪のテナントに所狭しと中古の自転車を並べて売る前時代的な、スーパーアナログな店だった。

そんな小さな店が夕方になると学校帰りの小学生でぎゅうぎゅうに埋まる。

何故か。

主人のおっちゃんはゲームと子供が大好きだった。

お店の奥には小さなブラウン管テレビとゲーム機が大量にあった。プレイステーションニンテンドー64はもちろんのこと、当時でさえ珍しかったセガサターンメガドライブまであった。ソフトもたくさん揃っていた。おっちゃんはお店で客が来ない時間を店の奥のテレビでゲームをしながら過ごしていたのだ。

そして好奇心で訪ねてくる小学生の子供達にも、快くコントローラーを握らせてくれた。

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「6丁目の自転車屋で珍しいゲームがたくさんできるらしい」

地元の小学生の間で噂が広まるスピードは凄まじかった。

ある日、僕は誘ってくれた友達といっしょに初めて自転車屋のシャッターをくぐった。おっちゃんの自転車屋は開店していてもいつもシャッターは半分降りていた。お店の前に中古の自転車が値札付きで並んでいるのが営業している合図だった。

店内はまるで天国のようだった。

乱雑に投げられたランドセルの向こうに、10人ほどの同級生の人だかり。その奥にはゲームのバトル画面を映し出す小さなブラウン管テレビが見えた。

テレビの隣には居酒屋で見るような瓶ビールをしまうプラスチックのビールケースを椅子がわりにして座り微笑むおっちゃんの姿があった。チラリと目が合う。

「なんや、見いひん顔やな」

ドキッとして慣れないあいさつをする。いくら同級生の楽しそうな様を見ていても、「知らない人についていってはいけない」と厳しくしつけられた親の顔が頭をよぎる。ついて行くどころかこちらから相手のテリトリーに入り込んでいるではないか。
おっちゃんは微笑んで言った。

「まぁ好きなだけ遊んでいきや。ただし門限は守るんやぞ」

この言葉で少しホッとした。この人は信用していいのかもしれない。門限の心配をしてくれる「知らない人」に出会うのはこのおっちゃんが初めてだった。

それから数ヶ月が経ち、僕は気付いた時には完全に常連の子供達の一人に加わっていた。授業が終わるとみんなで一目散に町外れの自転車屋を目指して走った。途中のローソンで1個増量中のからあげクンを買い、半分降りたシャッターをくぐる。からあげクンを頬張りながらプレイするゲームは格別だった。

ボスが強くて倒せない時はおっちゃんに泣きついた。いつも髪の毛はボサボサで、作業着も油で真っ黒に汚れたおっちゃんが軽々とラスボスをねじ伏せる。子供達の歓声が薄暗い店内にこだまする。おっちゃんのマネ出来ないコントローラーさばきと、余裕のある横顔には憧れの感情を抱いた。


月日は流れ中学生になると、部活にも入り環境の変化もありあの自転車屋に行くことはパッタリと無くなってしまった。おっちゃんは元気にしてるかな、と時々思い出しては一度行ってみようとするものの、まぁまた今度でいいか、と思い留まり、いつしか自転車屋のことも、冴えないおっちゃんのことも忘れ去っていった。

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そして数日前、遊びに行くこともままならないこのご時世の中、自宅で楽しめる何かを探しに地元のレンタルビデオ屋へ向かう途中、更地になっている場所を見つけた。

「あれ?ここ、もともと何があったっけ…」

立ち止まって考える。記憶を辿った。
うっすらと浮かぶ微笑む横顔にボサボサの髪の毛。
ボタンの接触が悪いコントローラと油の匂い。地面に転がるランドセルと六角レンチ。

そうだ。おっちゃんの…

ようやく、あれだけ入り浸っていた自転車屋が更地になっていることに気がついた。そこは15年ぶりに通った6丁目の町外れだった。